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バトル・ロワイアルIIによせて


映画ランキングにみるBRII

たいへん長らくお待たせしました!(って更新してなかっただけ!)

2004年になって、2003年度の映画評価ランキングが発表されています。
バトル・ロワイアルIIは、はたして・・・・!

まず「キネマ旬報」では・・・邦画86作品中36位。
キビシイとお思いの方もおられるでしょうが、ネットであれだけ酷評されたわりには良い方かも。
さらに「映画芸術」誌では・・・ベストで邦画92作品中12位!
こっちの評価はかなり高いかも!(ワーストも載っていますが、BR2は56作品中45位。)

さて、選者の言葉を「映画芸術406」(映芸)から引用してみます(以下『』内引用)。
面白いと思ったのは、さすがバトル・ロワイアルIIを押してくれた方々。映画というものに対して私の基準と同じ価値をみておられる。

キネマ旬報でもバトル・ロワイアルIIに良い点数を入れてくだすった。日本映画映像文化振興センターの「寺脇研」さん。(10点評価中10点)
『鋭敏な時代意識に満ちている。』と絶賛。『アメリカの対テロ戦争に真っ向から異議申し立てをなしテロリストやゲリラの側に位置取りするのは、深作映画の輝ける常道。』とも。
思わせぶりで主張は隠してますよと言いつつ、その実何も言ってない映画にはもう飽き飽き。真っ向勝負!言いたいことは口に出せ!(何も言ってません。楽しんでね!というのなら好き)
ちななみに寺脇さんのワースト1は某国民的大作映画。こちらもまったく私が感じてた「うさんくささ」を言い当てていますが・・・そっちは誌面を読んでください。ヽ(´ー`)ノ

新潟シネ・ウインドの「中村賢作」さん。(9点)
『この映画の心意気がまさにインディーズ映画のそれであり、変にオブラートに包むことなく、自分の描きたいこと訴えたいことをストレートに出していることが何よりも魅力でした。』
そうなんです。分かってらっしゃる。インディーズのノリであることは、テーマ曲にパンクを選んだことからも伝わってきますね。
笑ったのは
『藤原竜也演じた主役の少年だってもう大人だろ、っていう批判のいくつかを目にしましたが、宣戦布告されているのが成人という意味での大人でないというのは。少し考えればわかりそうなものなのに。』
ですよねぇ?このコラムでも
「すべての大人に宣戦布告って、おかしいじゃん。三村の叔父も大人だし、七原達だってあと数年もすりゃ大人じゃん。」とかいう疑問は、口に出す前に「じゃあここで言う大人の定義って何かな?」と自分で考えましょうね。七原だって(深作監督も)馬鹿じゃぁないんだから、当然そんなこと分かってます。それをあえて言うことには必ず意味があるわけで。
と書いた通り。映画読解力の無い人が多すぎ・・・。
『奇麗事だけ唱えるのが子供、そんなの奇麗事だよって言ってるだけなのがガキ、奇麗事を実現しようと頑張るのが大人。何にかで読んだこんな意味の言葉を今思い出しました。思えばガキばかりなんですよね、この国のオトナって。』
「そんなの奇麗事だよって言ってるだけなのがガキ」っていっぱいいますねー。私はガキにならないように気をつけなくっちゃ・・・。

脚本家で映画芸術編集長の「荒井晴彦」さん。(10点)
『「バトル・ロワイアルII」を「ムリしてムキになって世界情勢を感情的に盛り込んだ今回はいささかシラケるものがある」「テーマが見えすぎても、見えないのも娯楽映画としては気がノラないのだった」と書いてる評論家がいるが、俺は七億使った反米映画に泣いた。なぜ、いつから、エンタテイメントとしてうまくいってる、いってないが評価基準になって、テーマを無視するようになったのか。「映画にとって観客は大事だが、観客より大事なものがある」ってハリウッドの監督だって言っている。』
そうなんですよ!この人、私と映画の観方が一緒!「テーマなんかどうでもいいんですよ」なんて知ったかぶりの映画マニアは言うけれど、おまいらが映画をダメにするんだよ!
『シラケるとか気が乗らないとか、娯楽映画に政治を持ち込むなと言いたいんだろう。しかし、テロはいけない、アメリカもよくないと喧嘩両成敗風に済ませて娯楽映画にウツツを抜かしているより、この六十年間でアメリカに爆撃された二十二の国を書き、「世界中で見捨てられた子供たち、共に立て、共に闘おう」と年少の観客に語りかけるほうがエライに決まっている。』
熱いぜ!熱いぜ荒井さん!O(>_<)O

モラトリアムはスタイルにすぎない。シラケたのなんのってカッコつけんなよ。自分の言葉が無いだけだろーが。「奇麗事を実現」しようよ!
70超えて死んだ爺さんに負けてるんじゃないよ!「闘おう」って言ったって、何も武器を手に取れって言ってるんじゃないよ、「おかしいと思った事にはおかしいと言う」そういう「本当の大人」に成ることが、十分闘いなんだよ。世間は甘くない?そうさ、戦場だよ。


キネマ旬報にみるBRII

「キネマ旬報 8月下旬号(キネマ旬報社)」の「特別企画 どう観た?」。
映画評論家、ライターとキネ旬読者のバトル・ロワイアルIIへの評価が載っていました。人づてに「厳しい評価」と聞いており、ページを開く手も重かった私ですが・・・読んでみれば私的にはとても嬉しいものでした。このコラムに引用された記事を読んで興味を持たれた方は、ぜひ雑誌を購入して全文をご一読を。
#以下
『〜』内は、キネマ旬報 8月下旬号(キネマ旬報社)からの引用。
#強調部分はガンダルフが付加。

ここで語られている多くの批判は予想できたものであり、少なくない部分に同感させられます。
しかしさすがキネマ旬報。ネットに溢れるにわか評論家みたいに技法技術論にこだわることなく、そこのとこの未熟さはサラっと流し、内容そのものに論点を置いてくる。私が嬉しかったのは、「本作の主張」について語っていただけた方が思いの外多かったということです。本当に良かった。(^^


『ただし、このような欠点は多数あるにせよ、やはり本作の問題提起は見捨てるには忍び難いものがある。反米を打ち出し、あえてテロリスト側に肩入れする思想論は賛否分かれるだろうが、娯楽映画の範疇で堂々とこれを提示し、観客一人一人に今の世界について考えさせるという効果は、前作以上のものがあると思う。果たして今、真の敵はどこにいるのか、と。そして勝ち組と負け組みの別を全面否定しようとする心意気や、これまた良し。この区別差別が今までどれだけ多くの人々を傷つけ、世界を歪めてきたのかをようやく考える時期が来たことを、本作は健気に訴えている。そのことに対しては最大級の賞賛を贈りたい。』
★的田也寸志さん(ライター)の記事より引用。

『果たして今、真の敵はどこにいるのか』これは当コラムのバックナンバーを読み返してみていただければ分かる通り、私がBRIIで描いてもらいたかったことの一つです。敵とは何もアメリカのことではありません。力によって価値観を押し付けて支配してくるすべての国、団体、階級、そして個人です。しかし、それと戦うことは非常に難しいことです。
七原秋也も忍成修吾に「おまえらだって大人と同じじゃねぇか!」と最大の矛盾を突かれています。また、前田愛共有掲示板でみかけた18歳の少女の「むかつく!ウチ等のことを判ったように語る内容が上から言われるような気がしてむかついた!」という言葉は、深作欣二監督へのもっとも辛い反証ではないでしょうか。価値観を押し付ける側と戦うために、また価値観を他者に押し付けてしまう形になる。
でも、そういう矛盾も含めて『ようやく考える時期が来た』のです。

『前作では、わけもわからず殺し合いをさせられた中学生がしだいに敵は大人だと気付いていく。そして、生き残った七原は大人と戦う決心をする、というところで終わっている。つまり、前作ではいわば、敵が大人だと気付くことが、逆説的に、大人になることだったのだ。そうして大人になった若者は、無自覚に世界を支配している堕落した大人とは正反対に、世界をよくする力を持つはずで、「若者よ、そういう大人になって、悪い大人と戦え」という主張を欣二監督は表現したかったのだと思う。』
★新藤純子さん(映画評論家)の記事より引用。

本シリーズで語られる「大人」の定義について、素晴らしい解釈を語っておられます。
「七原だってもうすぐ大人じゃーん」みたいな批判はナンセンスとういうことです。しかし、ここでもやはり葛藤があるわけで
『そういう大人』『悪い大人』の二元論では「勝ち負け組」と同じスタンスに戻ってしまいます。前作の「教師キタノ」と本作の「キタノ・シオリ」は、その二元論から脱出するための何かを模索する避けて通れない存在であったのだと考えます。

『故・深作欣二監督は「ここから先の答えを、お前らが見つけろ」と言い残していった気がする。「BRII」は、その作品自体が今の日本に対する大きな疑問符のように思えるのだ。』
★金澤誠さん(映画ライター)の記事より引用。

そう、本作は何から何まで矛盾と疑問の羅列です。七原も、シオリも、修吾も、教師リキも、誰もが迷い苦悩している。明確な答えを持っている者はいない。欣二、健太両監督さえも!
ハリウッド的な明確な答えを期待している観客には大いに不満でしょう。しかし、矛盾や不条理を認められない人間は卑怯な人間です。もしも無理やり「明確な答え」を押し付けて決着するのならば・・そんな答えは「犬のクソ」です。

『前作の無力な少年から一転してテロリストのリーダーとなった七原秋也もそうだ。彼は自分達が行ったテロ行為で無辜の市民を殺してしまっている。が、そのことから決して目を逸らそうとはしていない。自分達が「殺人者」になってしまったことを十分自覚し、その上で戦いを続けようとする。そして同時にテロによって死んでいった人々のことを忘れまいとしている。七原の「犠牲なしに勝ち取られた平和なんてあり得ない。しかし、その犠牲者の事を忘れてしまったら・・・・・、そんな平和は犬のクソだ」という言葉にそれがはっきり表れている。』
★丸山哲也さん(読者)の記事より引用。

そうです。七原は殺人者です。下のコラムの私の言葉「悪であることを選んだのです。責めてください。糾弾してください。許す必要はありません。三村の叔父は言います。「すべては覚悟の上だ。」と。」は、そういう意味です。七原もそれを覚悟していなければなりません。
そしてそれは、世界の警察を名乗り「平和を創りだす」影で多くの罪の無い人を犠牲にしてゆくアメリカも、その犠牲に新たな犠牲をもってして報復するイスラムのテロリスト達も覚悟するべきことです。その覚悟は現実には難しいこと。ならば、新藤純子さんの言う通り
『七原がテロリストとして堕落していく話の方が面白かったかもしれないし』もアリでしょう。その覚悟が無い現実のテロリスト達を七原がなぞることで、覚悟を持たない者は「堕落した大人だ」ということが伝わったかも。

ええ、現実のテロリスト達も堕落した大人です。私は某女史に「最後のシーンで中川典子が七原の子を抱いていなくて安心した。子供達に憎しみを伝えるのは大人のエゴだ。」と言われ、憎しみを次世代に受け継がせていこうとする現実のテロリスト達も堕落した大人なのだと気付かされました。

さてさて、他にも興味深い、素敵な批評が多くあります。

『つまり、我々も「BR」に参加しており、迷いながらも戦って生き延びるしかないのだ。』
★片岡健太郎さん(読者)
『そして何かにつまずいたとしても、ここではない遠くを見ようと思う。』
★奥川聖美さん(読者)
『「窪塚世代」のぷちナショナリズムのレベルでは私のようなオジンは泣けないのである。「そんな平和
なんか犬のクソだ!」という言葉に免じて今回は合格にしよう。』

★竹内秀二さん(読者)

っとまぁ、大風呂敷を広げてみた私ですが・・・
とても個人的な感想を聞かせていただいた18歳の広谷祥子さん(読者)の素朴で素直な言葉がなぜか一番心に響いたりもします。
それはぜひ「キネマ旬報 8月下旬号」で読んでみてください(^^


私が受け取ったメッセージは・・・

まぁ、映画に限らず、小説でも絵画でも音楽でも、およそ人の受け取るメッセージは人それぞれ十人十色。もちろん製作者側のメッセージはありますが、それと同時に受け取る側の心によって創りだされるメッセージもあるわけで。だから創作物は面白い。
そんなわけで、バトル・ロワイアルIIから私ガンダルフが受け取った・・・あるいは自分の中から読み取って再確認したメッセージをここに書いてみます。
(ネタバレありありです。まだ観て無い人は注意)


冒頭の参加選択シーンで教師リキは言います。「決めるのはあくまでみなさんの意思と信念です。」無論、詭弁です。「
勝ち組・負け組」と他の選択肢を許さない状況の中で意思も信念もありゃぁしない。でも、この場面で自分の価値に元づく意思を貫いた者がいます。
慎太郎。彼は最期まで押し付けられた選択を拒否しました。それは「勝ち組・負け組」という作られた価値自体を否定しています。「まだ負けたわけじゃねぇ!」彼は結果として殺されますが・・・彼は負け組みでしょうか?死んだら負けじゃんという言い方もできますが、少なくとも
彼自身は最期まで負けたとは思っていなかったのではないでしょうか。

アジトでの黒澤の死も、自分の意思を貫いたものです。私がもしも黒澤の立場なら、やはり絶対に七原秋也を許すことはできないでしょう。
彼は自らの死を賭して七原に反目することを自分で決めたのです。

アジトからの逃走途中に戦場へ引き返す拓馬と柴木。テロリスト達との間にいつしか何かを見出した彼ら。それは
仲間であるということ。
葛西もまた同じ思いであり、今日子の言葉を受け、意を決します。

シオリは元より自分の中の疑問に決着をつけるために自ら志願しました。
彼女の場合は、自分が何に価値を置いているのかを見失っている状態。しかし、その事自体を自ら認識し、失った何かを見つけるために自ら行動していきます。七原秋也と中川典子が父であった教師キタノに関わる何者であるかという問いは、ある意味
シオリ自身が何者であるかという問いかけであるように思えます。

そして教師リキの最期の問いかけ。
「人生は勝ち組と負け組しかありません。・・・
はたしてそうでしょうか?」勝ち組・負け組なんていう価値基準は、外から押し付けられたものです。多くの大人達はそれに甘んじ・・・あるいは不本意でも抵抗できずに、その一握りの権力者の決めた既存の価値観が普遍的なモノであるかのように振舞っています。それが「大人である」ということなのです。教師リキは最期に「大人である」ことを捨てました。そして、自分の価値を取り戻します。
「すべての大人に宣戦布告って、おかしいじゃん。三村の叔父も大人だし、七原達だってあと数年もすりゃ大人じゃん。」とかいう疑問は、口に出す前に「じゃあここで言う大人の定義って何かな?」と自分で考えましょうね。七原だって(深作監督も)馬鹿じゃぁないんだから、当然そんなこと分かってます。それをあえて言うことには必ず意味があるわけで。

彼女等彼等の行動は「自分の価値で決めろ。」というメッセージ。
自分が自分であるために。


しかし、「自分の価値で決めること」を「自分が自分である」ことを、
議論や交わりを持たずして、権力と力をもってして阻もうとする者がいたとしたら?
七原達テロリストが選んだ道は、それに抗うこと。戦うことです。BRゲームによって、選択の余地を奪われ仲間を殺さざるえない状況に追い込まれてきた者達。彼女等彼等は、戦うことを選択したのです。
「自分であることを阻む者と戦え。」というメッセージ。
慎太郎のように、抵抗せずして自らの信念に殉じるという考えもありますが・・・。

無論、テロリズムという方法論を選んだことは、追い詰められた、怒りに狂った人々の人間の弱さを露呈しています。だから七原も弱い。そして彼はそれを自ら理解している。迷っている。苦しんでる。それでも戦わずにはいられない。
この矛盾と不条理は、他者を支配しようとする思想と同じく、人間の性であり、幾度も繰りかえされてきた罪です。七原は罪人であり悪です。悪であることを選んだのです。責めてください。糾弾してください。許す必要はありません。三村の叔父は言います。「すべては覚悟の上だ。」と。
しかし、だからと言って、七原達テロリストを産んだ元凶を作った「一握りの力ある者達」が、「正義」を「裁き」を主張することが肯定されるということにはなりません。


バトル・ロワイアルIIのテーマとして「
俺達は仲間だ」という言葉があげられます。
「仲間」とは何か?同じ価値観を共有する者?必ずしもそうではありません。仲間であるとは、お互いの価値観を尊重しあう関係です。
たとえ立場や考えが違っても、それを互いに尊重しあうことができるのが仲間です。
だから七原と拓馬達は「仲間」になれたのではないでしょうか。

散らかしっぱなしで感じたことを述べてきましたが、まとめてみます。
私がバトル・ロワイアルIIで受け取ったメッセージは
「自分で決め、自分自身であれ。そして他者の”自分自身”をも尊重しろ。
そうすれば仲間だ。」


本作で語られた事はあまりに多く、他にも大切なメッセージがあるとは思いますが、私がもっとも強く共感したのは以上のことなのでした。

5回目の舞台挨拶!

今回は趣向を変えて、7月13日の舞台挨拶の模様をお送りします。
まずは池袋のシネマサンシャイン。ここは整理券や前売りチケットの配布は無かったので、当日普通に並ぶことに。仲間の一部は始発で駆けつけて並んでいたのですが、私は前日体調悪かったのでゆっくり8時半頃現地着。それでもまだ20番目くらいでしたか?でもその後人はどんどん増えて後ろには何百人も!

舞台挨拶が始まると、なんと司会進行役はあの「あじゃ」さん。
今までの舞台挨拶で、あじゃさんをイジルと盛り上がるのは解ってたので、「あじゃコール」をバンバン!愛ちゃんのコメントの時は、あじゃさんに愛ちゃんの隣に並んでもらうよう頼んで、私が「顔の大きさ違うぞ!」でウケたウケた。(^^
なんか、あじゃさんと愛ちゃんは仲が良いようで、あじゃさんが側にいると愛ちゃんの笑顔も自然で可愛い!O(>_<)O
そして幸運なことに最前列中央付近に座れた私は、愛ちゃんのドンピシャ目の前!幸せ〜!O(>_<)O
そして、この舞台挨拶で発表されたのが・・・
「バトル・ロワイアルII、観客動員50万人突破!」すっげー!一週間でですよ?誰だコケルとか言ってたヤツは!

そして今日二回目の大泉での舞台挨拶。
またまた、あじゃさんが司会!(^^;
事前に考えてたネタ、あじゃさんが一人だけ顔が大きすぎてヘルメットが被れなかったというエピソードを仲間がぶつけると・・・「ああ、入らなかったよ!頭の幅も測ったのに・・・顔も太るのかな?(笑」と大ウケ。
さらに、司会に徹してるあじゃさんに私が「あじゃはどう思ったの〜!」と声をかけたら、私を見て「おまえなぁ〜!」あじゃさんに「おまえ」呼ばわりされてかなり嬉しい私です。(^^
そしてここでも重大発表が!なんと、藤原君とあじゃさんが婚約?!舞台は婚約記者会見にはやがわり!(もちろん、これはネタですが)そこで私が藤原くんに「幸せにしろよ〜!」と叫ぶと、藤原君が私を見て「幸せにするんですかぁ?」と。藤原君のリアクションもゲット!O(>_<)O
そして、そんなやりとりを愛ちゃんが心底楽しそうに見てる。これが可愛い!んで、「愛ちゃーん!」のかけ声に、あじゃさんが「あじゃはいいんですか?」っと言うので「あじゃ愛!」でまたウケてました。(^^

全体的に、これが最後の舞台挨拶だからか、50万人突破したからか、みんなリラックスしてハメ外しモードで、今までで一番楽しい舞台挨拶になりました。愛ちゃんも楽しげで良かった良かった!

これはもう、ぜひとも「特別篇」を出してもらって、また舞台挨拶やっていただきたいですよねー!

自分の目で観て感じよう!

さて、私は完成披露試写会で、一足先にバトル・ロワイアルIIを鑑賞してきたわけですが。
はっきり言って、一緒に行った仲間達の感想は厳しいものでした。
そりゃね、何十本も映画を撮り続けてきた巨匠と、今回降って湧いた監督初体験の健太さんとじゃ、比べものにならないのは当然ですよ。私だって、色々不満を言いたいことはある。
でもね。
私はこの映画、好きです!
スタッフやキャストから、伝わってくるものはあると思う。っというか、確かにあった!
そして、思想的に私の考えにストライク!
まさに我が意を得たり! です。
誰も大声で言えなかったことを、そして誤魔化してきたことを、この映画だけは突きつけてきています。
大人が口にしないままでは、子供達もいつしか狭い価値観に流されて・・「くだらない大人」になってゆく。
ほんとうに、若い人にこそ観て欲しい!感じて欲しい!考えて欲しい!
「金○先生」を、日常ドラマでありながら嘘臭くてリアルに思えない、そんな君!ここに、日常とかけ離れていながら、嘘臭くないリアルな世界がありますよ!極限状態の命をかけた、哀れに逃げ惑う、無様にパニックになる、醜く憎み合う、残酷で冷酷で最悪な人々の中に、リアルがある。見つけてください。リアルな「問いかけ」を。そして答えてください。リアルな「自分」を。(でもしかし、哀しい物語でもある・・・俺は涙目になったけど?)
演出がなんだ、脚本がなんだ、撮り方がなんだ・・・なんていう、映画の片側の分析は私らオッサン達にまかせて、若い君達は、深作監督は何を君達に伝えたかったのか・・・それを受け止めてください!
感性の枯れた映画評論家どもになんか騙されるなよ!

バトル・ロワイアルII報道に見る愛ちゃん

さて、ちょっとハードな話が続いたので、ちょい日和らせてもらって(笑)
BRII報道における愛ちゃんのこと等を。

まず、愛ちゃんがBRIIに出演が決まった経緯ですが、前作ヒロインの亜季ちゃんつながりとか、前作のキタノ・シオリの声をやっていたからそのまま起用とか、色々考えられますが、雑誌「ACTORS STYLE SPRING 2003」によると、あくまでオーディションによる選考での起用とのこと。
今回のキャスティングは甘いもんじゃなさそうなので、実力での出演決定とみて間違いないでしょう。(まぁ、前田愛ファンなら、その実力を疑う人はいないでしょうが。)

ACTORS STYLEで気になった記事と言えば、深作欣二監督はあくまでBRIIを「戦争ごっこ」として位置づけていたということ。本当の戦争を体験している欣二監督にフィクションと現実を混同されては困るという気持ちがあったのではないでしょうか。ビートたけしさんもインタビューで「戦争は映画の中だけでたくさん」と言っておられましたね。

そして、TV「ズームインSUPER」や雑誌「H-HO 映画秘宝 Vol.42」等で分かる通り、本作の深作欣二監督の最初で最期の本番演出は・・・
キタノ・シオリこと愛ちゃんのシーンでした。シオリの部屋のセットに颯爽と現れた欣二監督。ピアノの練習をしていた愛ちゃんの頭を撫でて、本番スタート。この直後に容態が急変し、欣二監督は旅立っていかれました。つまり、本作の本番シーンで直接欣二監督の演出を受けることができたのは、愛ちゃんだけだったのであります。
幸運と言う言葉は使いにくいですが、前田愛にとってこれは大きな財産となったのではないでしょうか。

「H-HO 映画秘宝 Vol.42」で気になった記事。まさに壮絶な戦闘シーンを撮影していた最中、イラクではバクダット空爆が始まっていました。撮影スタッフの中には胸に「NO! WAR」「STOP THE WAR」のバッジを着けていた人がいたとか。戦争肯定映画だと思ってる人は、このことを心に置いてください。

その戦闘アクションシーンでの愛ちゃんは・・・
「キネマ旬報 5月下旬号」の記事には撮影を見た方の談話として、愛ちゃんは拳法を習っているせいか「キレがあってカッコイイ」と。うんうん!私の期待した通り!
また、記者会見では役に入り込んでる姿が「ブラックホールの様な吸引力」と。これは女優さんとして大切なことかも。演技せずしても、醸し出される存在感。
普段のプライベートな愛ちゃんは、ほんと普通の女の子らしいですが、私は何度か「うわぁ。こりゃ凄い!」って愛ちゃんを見ています(G3の試写会後の愛ちゃんは神がかっていた・・)。

さてさて、もうみなさん気付いておられると思いますが、なんか当初の頃から比べて愛ちゃんの注目度というか重要度がどんどん上がってきてません?
最初は名前も上がっていないこともあったのに、今では出演者欄で主演の藤原くんの横に並ぶことも。「BRII特番」では愛ちゃんがナレーションを勤め、登場シーンも多目。記者会見でも健太監督の横に並ぶことが多いし。書籍では「バトル・ロワイアルII キタノシオリによる変奏曲」(角川書店)っと。
逆にヒロインとして正式に報道された酒井彩名さんは、なぜか露出も少なめ。
これはヒロイン酒井さんが最重要極秘事項として意図的に情報をリークしていない可能性もありますが、いずれにせよ愛ちゃんの注目度は増す一方。
ひょっとしてこれは久々の「前田マジック」かも?

「前田マジック」とは、愛ちゃんとお仕事をしたスタッフや共演者の方々に愛ちゃんの存在がマジックとも言える影響を与えること。
顕著な例では、ドラマ「D×D」でゲスト出演した際、周囲を魅了。急遽番組の最終回の脚本を変更して、もう一度愛ちゃんを(ある意味準レギュラー扱いで)登場させてしまいました。
ガメラ3でも、スタッフの方の話によると、当初は前田愛の名前も知らなかったスタッフの方々が、最初の撮影時に愛ちゃんのあまりの素晴らしい実力に感嘆し、「この映画を前田愛の代表作にしよう!」と、スタッフ一丸となって愛ちゃんをサポートしていただけたとか。いつもはダレてくる撮影後期も、そのスタッフの意気込みは萎えることがなかったといいます。

「バトル・ロワイアルII」でも、女優前田愛とお仕事をした方々に、何か伝わるものがあったのではないか・・・等と期待してしまう私は「前田馬鹿」でしょうか?(^^;



バックナンバー3月〜4月
テロは絶対悪なのか?
羊飼いになるか羊になるか狼になるか
疑え!止まるな!
考え続けること
受け継がれてゆくエネルギー
哀しい闘い
批判されるバトル・ロワイアル