<2000年後半へ 2001年前半 観賞作品 2001年後半へ>

ダンサーインザダークアンブレイカブル回路あの頃ペニーレインとハンニバルスターリングラード、ザ.セル、タッチ&イマジネーション・プログラムBメトロポリス、ハムナプトラ2

ダンサーインザダーク
60年代アメリカ。移民で遺伝性の視覚障害を持つ女性セルマ。周囲の善意に囲まれながら、同じ障害を持つ息子の手術費用のため爪に火を灯すようにして貯めた貯金。ある日それが盗まれた・・・それは・・・。
cover 人によってかなり好き嫌いが別れるこの作品。私はメッチャ感動!泣けるからって良い映画とはかぎらないって?ええ、私はたしかにボロ泣きしたけれど、それは関係ないのよねん。なぜなら、映画館の予告篇ですでにノックアウトされていたから!
予告篇は異例の長いもので、あの鉄橋のシーンをまるまる観せてくれる太っ腹なもの。これを観た時点では内容についての知識は全然無く、悲劇だということすら知らなかった私。しかしもう、魂を吸われるように観入ってしまいました。
あのマジかよ的映像美!ビョークの心の琴糸かき鳴らしまくりの歌声!そして彼女のチャーミングなこと!映画館を出てからの私の興奮ぶりに、周囲のやつらはついてこれない様子。しかもその感動は本来観にきた映画に向けられてじゃなく、予告篇の方だってんだから。(笑
無論、全編通して観ても素晴らしかった!これが映画だよねぇと思いましたね。

・・・・さて、この映画は内容に関わらない意味でも、一生忘れることのない映画になってしまった。本作はあまりに救えない悲劇だが、そこに本当の意味の悪人は誰も出てこない。世の中には・・・誰も悪くなくとも、どうにもならない悲劇がある。
ダンサーインザダークは私を二度泣かせた。
さらば愛しき日々。
ラース・フォン・トリアー監督
ビョーク
カトリーヌ・ドヌーブ

オフィシャルサイト
アンブレイカブル
131人死亡の大列車事故で、かすり傷一つ負わずに唯一人生還した警備員の男。その時から謎の人物につけまわされることに・・・
cover シックスセンスの監督です。そしてまた、やられちゃいました!
この人の作風は、たんたんと何気なく語られてゆく物語に、綿密に伏線が張りめぐらされているんですね。そして最後の最後にドカン!っとくる。シックスセンスも観た人達は、またやられた!っという快感に浸ったんではないでしょうか?

しかし考えてみると、メッチャ馬鹿げた設定なんですよねぇ。
アメコミ(漫画)は実在するヒーローを伝えるメッセージなんだ!って、もろ毒電波な人の発想。そしてそのヒーローが本当にいてしまう!(笑
最初はなんだこりゃと思って観ているわけですが、結局最後のオチに驚愕するってことは、いつのまにやらこちらもその世界に引き込まれちゃってるってことなわけです。あいかわらず巧い!
▲戻る
ナイト・シャマラン監督
ブルースウイルス

オフィシャルサイト
回路
アクセスしていないインターネットに、なぜか幽霊の姿が・・・。インターネットという一つの”回路”が、まったく別な意味を持って動き出す・・・
サイバーホラー。

cover 黒沢清監督萌えの、ゆうり氏。「いやあ〜主演加藤晴彦だし、ヒットしちゃうんだろうなぁ〜!これで皆が黒沢監督の凄さに気付いちゃうなぁ〜!ちょっと残念かなぁ!」
・・・映画館、閑散としてました・・・もうしばらくは、黒沢監督を独占できるようだね!>ゆうり氏等濃いファン

でも!映画自体は良かったっす!もー恐い恐い。(^^;
なんでもない映像がメチャ不気味なんですよねぇ。壁のシミ・・・赤いテープで目張りされたドア・・・あーなんかありそうすぎ!
実際出てくる幽霊がまた恐い!いや、なんてことない普通の女性なんですが、あの妙にきっちりした歩き方・・・から、一転してガクゥン・・・っと折れる膝!こええ〜!いや、これは観ないとわかんないですよね。
あと、「キュア」にも出てきた独特のバスの車内シーン。これも見物。
だいたい、なんでもない街中の映像が、まるで絵に描いたように尋常でない雰囲気を漂わせてるんですよね。
血なんぞ一滴も見せなくても恐いもんは撮れるってとこですか。
黒沢清監督は、”妙な空間”を描かえたら日本一ですね。

さて、この映画のキーワードになっている「一度”回路”が出来てしまえば、最初の原因には関係なく、それは動き続ける・・・」というようなやつ。実はこれって、進化論萌えの私にはお馴染みの概念なんですよねん。

進化ってのは得てしてそんなものでして、例えば”性淘汰”。
ある種の鳥につく寄生虫がいたとします。この寄生虫に弱い鳥の尾羽は短くなる傾向にあるとしましょう。もしも、その寄生虫に抵抗力を持つ遺伝子Aを持つ固体がいれば、その固体の尾羽は、そうでない固体より長くなるはずです。
さて、鳥が配偶者を選ぶときに、尾羽の長い相手を選べば、自動的に”寄生虫に強い遺伝子Aを持つ”相手を選ぶことになります。なので、仮に”尾羽の長い異性に恋をしやすい遺伝子”Bが突然変異かなにかで生まれれば、その遺伝子Bは”寄生虫に強い子孫を残す遺伝子”と言ってもさしつかえないでしょう。この時点では。
ここで回路ができあがります。
尾羽の長い異性を選ぶ固体は、当然ながら遺伝子Bを持っており、その子孫にも遺伝子Bが伝わるため、子孫も尾羽の長い異性を選び・・・はい、回路が閉じました。
もし、ある日、なんらかの理由で寄生虫が絶滅してしまえば、もはや尾羽の長い異性を選ぶ必要はなくなりますし、寄生虫に強い遺伝子Aも無意味になりますね
しかしすでに遺伝子Bを中心とした回路は止まりません。もはや長い尾羽には何の意味もなくなっていますが、依然として長い尾羽の固体は異性をひきつけ、同じことをくりかえす子孫を残してゆくのです。

時折、「自然界には何一つ無駄は無い」みたいなことをいいますが、あれは嘘です。すでに最初の意味を失った無意味な回路があちこちに存在しているでしょう。ひょっとすると人類の存在も、そんな回路の一つなのかも?(^^;
▲戻る
黒沢清監督
加藤晴彦

オフィシャルサイト
あの頃ペニーレインで
70年代のアメリカ。頭は良いが孤独な少年ウィリアムはロックミュージックに開放を感じ、若干15才でロック雑誌のライターとなった。売り出し中のバンドのツアーに取材として同行する中、グルービーの少女ペニーレインと知り会って・・・。監督の自伝的な青春恋愛映画?
coverかつてバンド少年だった私は、音楽に興味があって観たんですが・・・
いやぁ良かったっす!私がカッコイイと思う要素が目白押し!っというか、すでにカッコイイを通り越してパロディーとしても笑えちゃう。また、随所に笑いのツボを押さえたシーンもあって、映画館も笑いが絶えませんした。(ゴールデン・グローブ賞でコメディー部門で賞をとってます。
それでいて・・・切ない恋と青春の輝きがめいっぱい詰まっています。私としてはスティーブン・キングの”スタンド バイ ミー”の雰囲気に似たものも感じましたね。(どちらもある意味ロードムービーだし?)
つーか、ペニーレイン役のケイト・ハドソンの可愛いこと!(結局それかい!)薄い唇の形がどことなく愛ちゃんに似てるんですよねぇ。くう〜!O(≧▽≦)O

背景の時代は、実験的要素と思想的要素を大きく含み、当時の若者の文化として育ってきたロックミュージックが、その全盛期を過ぎてやがて商業主義の中に埋没してゆく黄昏の時期。ある意味、ロックが腐りはじめた頃とも言えます。(腐りかけが旨いのだという話も。)
j その時代の象徴であるロックバンドに、様々な色を持つ人々が群がって、めまいのするような”サイケ”な日常を駆けぬけていきました。

当時の特徴としては、誰もが”思想”を持とうとしていること。映画の中でギタリストのインチキ説法に神妙に聞き入る長髪丸眼鏡の若者がそれを象徴します。バンドも思想を持っていることが必須でしたし、そのバンドをおっかけるグルービー達まで、少女ペニーレインのように思想を持とうとする姿が描かれています。
それは半ば時代のもたらした脅迫観念的に人々は思想を求めました。でも、私はそいうあの時代が好きです。(それが”パーソナルコンピューター”という概念をも生んだと言えます。)

やがて学生運動が衰退し現実の前に多くの思想が倒れたことで、若者達は大きな失望感を抱えて無気力無思想なモラトリアム世代へと変貌してゆくことになります。そしてあまた存在した価値感は、競争の勝ち負けという単純化された価値へと還元されていきました。
(かつて思想の元にビッグB打倒を叫んでいたA社も、いつしか”鉄槌”を収め、競争を勝ちぬくためにビッグBとも手を組んでしまうわけです。)
現在は再び、失われた思想を渇望する時代。しかし、積み重ねたものが無いものですから、お手軽なオカルトや宗教という考える必要の無い、答えを用意された疑似思想に群がってしまうんでしょうね。

って、全然映画と関係無い話になちゃいました。(^^
まあ、このコーナーは脱線話題がメインですから。▲戻る
キャメロン・クロウ監督
パトリック・フィジッ
ケイト・ハドソ
ビリー・クラダップ

オフィシャルサイト
ハンニバル
あの猟奇と狂気の殺人鬼レクター教授が帰ってきた。あいかわらず女性捜査官クラリスに異常な執着を見せる教授。そして彼を憎むかつての被害者の大富豪との三つ巴のサスペンスが・・・・。
ヒット作「羊達の沈黙」の続編ってことなんだけども、私はそっちを観ていなかったりする。そのせいなのか、今一つに感じてしまいました。(巷での評判が良いのは知ってるんですが・・・
j教授と女性刑事の不可思議な関係が観どころなのだろうけど・・・これがラブストーリーの一種(?)であることに気付けば、最後の”落ち”も手錠をかけた時点で読めてしまうし。あと不満なのは、今一つ”サイコ”な感じが足りないこと。やってることはこれでもかの狂気なのだけど、なんか素直すぎて危うさを感じないんですよね。それでいて、グロい表現には十分不愉快にはなる。でも、不愉快になることと恐怖を感じることは別だし。

さてそれはさておき、2001年4月18日付けの朝日新聞夕刊
1面のコラム「窓 論説委員室から」で、バトル・ロワイアルとハンニバルをひきあいにだし、”現代は暴力の時代”と説いてますが・・・?創られた社会背景も違えば意図も違うバトロワとハンニバルを一色他に論じてしまう姿勢もはなはだ疑問ですが、驚いしまうのは結論部分。
何の脈絡も無。
「暴力表現がうける背景には、インターネット社会でのいらだちと閉そく感があるともいえる。」
と断じちゃう?
ちょとちょっと。どこからネットの話が出てきたのよ?話の飛躍というには飛びすぎでしょう。
正直言って映画よりこの記事の方がよっぽど”サイコ”さを感じてしまう。自分が理解できないコミュニケーションがよっぽど恐いんかねぇ。
リドリースコット監督
アンソニー・ホプキンス
X ジュリアン・ムー

オフィシャルサイト
スターリングラード
第二次大戦。ドイツの猛攻にさらされるソビエトの都市スターリングラード。そこへ一人の狙撃の名手の青年が現れる。戦意向上のため、ヒーローとして祭り上げられてゆく青年。しかし、彼を倒すため、ドイツ軍もまた、老練で非情なスナイパーを送り込んできたのだった・・・
cover こりゃ酷い!いや、映画の出来ではなくって、冒頭部分で見せられる戦闘シーンの悲惨さが酷い。それも撃たれた爆死したとかいう描写の問題ではなく、青年兵達の置かれた”状況”が酷すぎます。
阿鼻叫喚の中、わけも分からぬまま虫ケラの様に死んでゆく青年達。勝ち目の無い圧倒的な敵に対し、ろくに武器も持たされぬまま突撃させられ、生き残って逃げ帰る者には敵前逃亡として味方からの銃弾が・・・。バトロアが遊びに思えます。(ーー;
こんなの嘘だろう映画だから・・・っと思うあなたは戦争を知らなさすぎ。我々の日本だって、同国人達(しかも民間人さえ)を殺していたんですから。前田姉妹のいる今の日本は、けっして戦争へ巻き込まれることのないように・・・

っと、こんなことを言っている私は、実は中学生1年くらいまで、戦争大好き少年だったんですねぇ。(ーー;
特にこの映画の舞台になったスターリングラードの攻防戦とかは好きでした。
あんまり好きだったもので図書館で戦争について調べまくっていたんですが、リアルな史実の本とかで戦争の愚劣さに触れることになり、以後は一転して反戦思想に。

そんな元戦争萌えの私が、この映画でついニンマリしてしまったのが・・・冒頭の兵員輸送列車。列車のくせに屋根の上に戦車の砲塔が並んで2門も装備されていました。この砲塔・・・わすれもしません!少年時代の私が最も好きだったソビエト軍の戦車「T34/76」ではありませんか!って、知らないよね?(^^;>みなさ
T34は当時のソビエト軍の主力戦車。時代考証がよくできてるなぁと感心。(まあ、ロシアとかは古い武器とかかなり残ってるんでね)

ちなみにスターリングラードの攻防がソビエトの勝利に終わったのは、一人のスナイパーの活躍の・・・ではなくて、予想外の抵抗によって攻略に手まどったドイツ軍を、ロシアの厳しい冬が襲ったことが原因です。さらにドイツ本国からスターリングラードまでの長い補給路を維持し続けることが出来なかったのも敗因。ドイツの戦車はカッコイイんですが、タイガーシリーズに見られるように、恐ろしく燃費が悪かったんですよね。補給路を絶たれてガス欠になった戦車なんて、ただの鉄の塊でしかないわけです。

さて、話を映画に戻すと・・・こんな絶望的な日常の中でも人々は恋をし、そしてそれはやはりせつないわけです。明日をも知れぬ日々の中での生を確かめるような恋の証し。愛に恵まれなかった者の心。
胸に重く深く迫ってきます。
▲戻る
ジャン=ジャック・アノー監督
ジュード・ロウ
Eレイチェル・ワイ

オフィシャルサイト
ヤン・シュヴァンクマイエル タッチ&イマジネーション プログラムB
チェコのアニメ作家ヤン・シュヴァンクマイエルのオムニバス集。
棺の家、コストニツェ、エトセトラ、アッシャー家の崩壊、レオナルドの日記、ドン・ファンの6つの作品からなる。シュールなアニメーションを中心に。
これを観た日は、疲れぎみで精神状態も落ち込みぎみだったんですが、前々から観たかったので、やってるの見てフラっと入ってしまったんですねぇ。

短編集なわけですが、最初の「棺の家」は腕人形劇。これは面白かったです。ハムスターを飼っている(このハムスターは生きている実物。なので人形のスケールだと仔牛くらい)男の話で、冒頭は男が延々とハムスターを愛でるシーン。文章での説明は難しいんですが、これが馬鹿馬鹿しくて笑えるんです。そこへもう一人の男がやってきて、ハムスターに惚れ込んで二人で取り合いになります。この二人の争いがまた馬鹿馬鹿しくて、笑えるわけです。単純なギャグが延々と繰り返される面白さと、シュールさがいいんですね。

次の作品「コストニツェ」はガラっと変わって、ドキュメント。
どこかの寺院のような場所なんですが(納骨堂?)、これがなんと数万人の人間の骨で飾られているんですよね。人骨の巨大なシャンデリアやオブジェの数々。なんでもその地方で疫病かなにかの大量の死者が出た頃、墓地に収まりきらない人骨を寺院に収納しだしたのが始まりで、これでも一種の墓地代わりなのだとか。
ドキュメントはナレーションの代わりに小学生かなにかの集団を引率する寺院の管理者のオバサンの説明が流れています。なので所々に「骨にさわらないの!落書きしちゃだめ!」等の叫びも。しかし画面の方は別撮りで人物は一切出てこなく、ひたすら数万人骨の山を映し出すのみ。
これが・・・効きました。冒頭で書いたようにその日は落ち込みぎみだったところへ、骨また骨の羅列・・・よっぽど元気な時じゃないとこれは辛いっす。

次は完全なアニメーションの短編集「エトセトラ」。シュールで単調なアニメが延々と・・・これも効きました。疲れがどっと出て、不覚にも眠ってしまう始末。なのでこの後のいくつかの作品は、覚えてません。(^^;

さて、ふと目が覚めると、今度は操り人形の人形劇・・・っと思いきや、よく見ると等身大の”操り人形の着ぐるみ”に人が入って演技してるんでした。わけわからん。(^^
内容は「ドン・ファン」で、これがまた馬鹿場馬鹿しくって面白い。
ドン・ファンと従者の会話が漫才みたいで。こういうのは世界中一緒なのかな。

っと、いうわけで、もっと体調と気分の良い時に観ていれば、大満足・・・だったのかな?
▲戻る
ヤン・シュヴァンクマイエル監督
メトロポリス
超未来都市メトロポリス。その栄光は、繁栄する地上を支える地下の貧民都市と、人間に疎まれながらも労働力として必要とされているロボット達で支えられていた。メトロポリスの頂点に立つレッド公は、密かに人類を超えるロボットを創り、それに世界を支配させようともくろむ。その超ロボット”ティマ”は、今は亡きレッド公の娘に似せられていた。

「いけません。」
何がいけないんでしょうか?人物画は・・・手塚先生の初期のタッチをかなり正確に再現していて好感さえ持てます。背景は・・・CGを組みあわせた繊細で豪奢な書き込み。しかも輝くような質感。動きは・・・皮肉なことに(謎)フルアニメーション。滑らかで、全体に動きがあります。
では、では、何がいけないのか・・・。
だって、つまんなかったんだもん!登場人物に感情移入できないし。
ギラギラのCGと音楽の中に埋もれてしまったようで。
不覚にも原作のメトロポリスを読んでないので大友さんの脚本は何とも言えないけれど、盛りあがらないしベターっとしたお話。
テンポがちぐはぐな感も。

コンプレックス野郎のロックは最大のアイデンティティーの危機に直面しているわけですが、なんだか子供の駄々を聞かされているよう。(ロックの容姿が子供なんで・・・彼が完全な大人として、子供のようなコンプレックスをさらけ出してきたのなら、逆に面白いのに。)
主人公のケンイチ少年は、なんかもういてもいなくても良い感じ。

これを面白いって言ってる人の「面白い」って何なのか教えて欲しいもんです。なんか手塚先生という超大御所の作品を、大御所の大友さんと、りんたろうさんが贅沢に再現した大御所アニメなのでとりあえず、ほめとけ!ってノリじゃないすか?テーマも深淵だし ?
面白い映画は、観終わった時に「ああ、面白かった!」それだけです。私はそう思います。

で、思うんですが、手塚先生が生きててこの出来だったらOK出しましたかね?私が思うに・・・先生が生きてたら、この映画は完成しなかっただろうな。(笑
▲戻る
原作:手 治虫
脚本:大友克洋
監督:りんたろう
オフィシャルサイト